上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
―偕楽園― 偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三大園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。約13haの園内には約百種類・三千本の梅が植えられ、早春には観梅客でにぎわいます。 偕楽園は梅の名所として有名ですが、その他にも四季折々の見所があり、春には桜、初夏には深紅のキリシマツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や杉林、秋には可憐な萩の花やモミジが見られます。これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景の一言です。また、偕楽園の眼下に拡張した新しい公園は、梅を中心とした田鶴鳴(たづなき)、猩々(しょうじょう)、窈窕(ようちょう)の各梅林、芝生広場の四季の原、水鳥たちが遊ぶ月池などが点在し、広大な風景をゆったりと楽しめます。 ○詳細○ 開園時間:24時間(偕楽園本園及び歴史館の区域を除く) 偕楽園本園及び歴史館の区域:午前6時から午後7時まで(3/1~9/30) 午前7時から午後6時まで(10/1~2月末日) 施設概要:好文亭、表門、偕楽園気の碑、子規の句碑、南崖の洞窟、吐玉泉、左近の桜、孟宗竹林、太郎杉、仙奕台、梅林、桜山、丸山、もみじ谷、玉龍泉、四季の原、偕楽園公園センター(梅とみどりの相談所)、など ―好文亭― 偕楽園の中にある好文亭は、徳川斉昭自らが設計したもので、木造2層3階建の好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿からなり、各所に創意工夫と酒脱さを感じさせます。 ○詳細○ 利用料金(1人1回につき):個人利用:大人190円子供100円 団体利用:大人150円、子供80円 ※団体:20人以上 ※大人(中学生を除く15歳以上の者)、小人(小学生の児童及び中学生の生徒)。70歳以上は無料 利用時間:9:00から16:00(3/1~9/30),9:00から16:30(10/1~2月末日) 開館日:12月29日~31日を除く毎日 茨城県営都市公園オフィシャルウェブサイト より |
ここで観察できる灰白色の泥の層に水をぜひ流してみてください。水がなかなか吸収されないのが観察できます。実はこの層は水を通しにくい難透水層なのです。このポイントから先の公園内でもこの層を観察できるので是非見てください。おそらくそこではこの層から水が湧き出してきているでしょう。 この層が水を通しにくいということに注目した水戸光圀は水戸下町の給水難を解消するべくこの泥岩も用いて笠原水道という約10kmに及ぶ当時としては巨大な水道を作りました。 |
主に海進は地球の気温が上昇することによって極地の氷床が解けることで海水が増えて起こります.そして海進の逆の海退は主に極地の氷床が増えることで海水が減少し起こります.しかし,縄文海進の後現在の海水面までの低下(海退)は極地における氷床の増加ではありません.確かに現在と比べ,縄文時代は暖かかったのですが,実は極地の氷床が融けることで海水が増え,その海水の重みで海洋底がゆっくり沈んでいったため,見かけ上海退が起こり、現在の海水面になったのです.この時代暖かかった理由としては、暖かい海流(黒潮)が現在のように日本列島に近い南岸を蛇行することなく,東へ流れたことが考えられています. |
―水戸を代表する有名な画家って誰??― 茨城県近代美術館では、茨城ゆかりの作家、横山大観・小山芋銭・中村彜をはじめ、日本と西洋の近代美術を中心に、さまざまな作品を紹介しています。 また、敷地内には、水戸出身の洋画家・中村彜の東京都新宿区下落合にあったアトリエを新築復元しています。内部では彜の遺品や資料を展示し。無料公開しています。 中村彜とは、大正期に美術界に彗星のように現れ、輝かしい作品を残しながら早世した洋画家です。第二回帝国美術院美術展覧会で絶賛を博した「エロシェンコ氏の像」など傑作を次々に発表し、大正期を代表する画家の一人でした。大正13年の暮れ、結核によりわずか37年の短い生涯を閉じました。 |
―偕楽園の洞窟が水戸城への抜け穴??― <謎を残す南崖の洞窟> 現在、入口は格子柵で閉ざされていますが、偕楽園南側の崖面下方に大きく深い穴が口を開けています。 また、園内東方の崖面にも同じような穴がいくつもあります。 これは、江戸時代に「神崎岩」と呼ばれた石を笠原水道という昔の巨大な地下水道の岩樋(いわひ:岩をくりぬいて作られる川の取水口)などに使うため採掘した跡といわれています。 しかし、南崖の洞窟については、水戸城へ続いている抜け穴ではないかなど、諸説があります。 1968年には鉱山、潜水、歴史などの専門家を加えて本格的な調査が実施されました。 その調査報告書によると、壁面はノミ跡と認められ人工的に掘った穴と判明しました。 内部は極めて複雑な構造で、採石のために掘ったとは思えない入り組んだ横穴が続いていたそうです。 しかし、湧水による池や土砂で埋まっている部分もあり、結局、抜け穴は確認できませんでした。 →もっと詳しく! |
Author:geotourism
茨城大学地質情報活用プロジェクトです。